人口が減り続ける個人所有の島
ハワイ8島(オアフ・マウイ・カホオラウェ・モロカイ・ハワイ・カウアイ・ニイハウ・ラナイ)の中で2番目に小さい「ニイハウ島」は、カウアイと同じく、これらの島の中で最も誕生した年代が古い島です。
1778年1月、ハワイ諸島を発見し、上陸したジェームス・クック船長率いる2隻の船は、カウアイ島の南西海岸「ワイメア」からニイハウ島に向かいました。ところが、ニイハウ島では水や食料を十分に調達できませんでした。
1864年、シンクレア夫人(Elizabeth McHutchison Sinclair)が、ハワイ国王・カメハメハ5世からこの島を1万米ドルで購入。ニイハウ島は現在も、シンクレアの子孫であるロビンソン氏が所有しています。
また、この島はサトウキビ農園や放牧、パイナップル生産、養蜂などの産業に使われてきました。とはいえ、それほど多くの人たちが住んでいる島ではありません。クック船長が島を発見した1778年には推定1万人が住んでいたと伝えられていますが、その後、ほかの島へ移り住む人たちもいて、1841年の人口は1,000人、1980年の人口調査では226人、2021年には70人と減少の一途を辿っています。
理由は定かではないが鎖国状態に
シンクレア夫人がニイハウ島を購入した当初は、誰でも自由に島に出入りできました。ところが、1915年頃からロビンソン家以外の人は自由に入島できなくなり、島に住む先住民たちも出てこなくなりました。まさに鎖国のような状態になったのです。
ロビンソン家がニイハウを鎖国状態にしたのは、島に十分な水がなかった、清らかな信仰生活を守るため、などといわれていますが、はっきりとした理由はわかっていません。
日本からの移民の血を引く住人がいる
※画像はイメージです。
ニイハウ島の住人のほとんどはネイティブハワイアンで、彼らは、ハワイ語のニイハウ方言を今でも使っていることで知られていますが、なかには中国やポルトガル、日本からの移民の血を引く住人たちも!
1941年12月7日、真珠湾攻撃の日にゼロ戦が一機、ニイハウに不時着した際、日本語がわかる住人がいて、ゼロ戦のパイロットを助けたというエピソードが残っているのです。日系人がどのような経緯を経て、この島に移り住んだのか大変気になりますね。
なぜ「タイムカプセル」と呼ばれているのか?
※画像はイメージです。
ニイハウ島には、舗装された道路や病院、食料品店はもちろん、電気や配管もなく、雨をバケツに集めています。島民はソーラーパネルを使用して、釣りや農業をしながら生活しているのです。そのため、手つかずの自然が残り、多くの絶滅危惧種が生息しています。このように、かつてのハワイを垣間見られるため「タイムカプセル」と呼ばれているのです。
ニイハウ島を訪れる方法
島民のほか、招待客、政府関係者、米海軍以外は入島することはできませんが、1987年以降、ロビンソン家は外部の人へ島の一部を開放。カウアイ島からヘリコプターで島の上空を周遊し、丘に着陸するツアーのほか、ダイビングなどのアクティビティツアーが敢行されています。
2022年に、ミック・ジャガーがニイハウ島に自家用ヘリコプターを着陸させる許可を求めたところ、ロビンソン家は許可しませんでした。たとえ、セレブや王族であっても、上記ツアーに参加するというルールに従わなければ入島できないのです。
なかなか訪れるのが大変な島ですが、ロビンソン家が許可しているツアーのひとつに参加して、“かつてのハワイ”に触れてみたい気もしますね。
世界には立入禁止スポットが多数ある
各国の軍事基地や、宗教的・歴史的に重要な場所のほか、先住民や生息している生き物が危険な島など、この連載では紹介しきれないほど、世界にはたくさんの立入禁止スポットが点在しています。なかには、現在は立ち入れるスポットもありますので、興味を引く場所があれば、観光に訪れるのもよさそうですね。
ニイハウ島
[参考]
アロハプログラム/ニイハウ島
Mar Sem Fim/Conheça Niihau, a ilha proibida do Havaí
times travel/EXPLORING NIIHAU: THE FORBIDDEN ISLAND IN HAWAII
東洋経済オンライン/ハワイ「100年以上鎖国中」の個人所有の島の正体
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