フランスのエッフェル、と聞けば誰もが「エッフェル塔」を想像するのではないでしょう
か。
世界中に知られるパリのシンボルに歯がゆい思いを抱いていたのはどうやらこの塔を設計した当人、ギュスターヴ・エッフェル氏のようです。
2023年は彼の没後100年目。
それを記念し、生まれ故郷ブルゴーニュのディジョン市で比較的小規模な展覧会が開催されました。
ディジョンを流れる運河の停泊地界隈で生まれたエッフェル氏。
無名だった頃、ディジョンの中心にあるマルシェの建物のデザインに応募するも落選、後にパリ万博でエッフェル塔の設計者として名をなすもディジョン市民は彼を上院議員に選ぶことはなく・・・彼がディジョンを語らない理由はもっぱらその辺にあるだろうという意見には多くの人が頷けるでしょう。
何しろ18歳まで住んでいた街が、彼の人生を描いた映画でもほぼスルーされたのですから。
さてエッフェル氏がなぜエッフェル塔に嫉妬するのか。
それはエッフェル塔が規格外のスケールで有名になっ(てしまっ)たがために、自分が成し遂げた他の数々の仕事がその名声にかき消されてしまった感がある、と語っています。
例えば自由の女神。
外観のデザインは他の人ですが、像がしっかりと立ち続けていられるよう内部の骨格設計に携わったのはエッフェル氏でした。
またこの9月、彼が夏のバカンスを過ごした、ディジョン市から電車で10数分の距離にあるジリー・レ・シトー村の家の壁に記念プレートが設置されました。(実は現在のこの家の所有者はエッフェル氏が過ごしたという事実を知らなかったとのこと)
地元で開催されたこの展覧会は、長い間ディジョンとの関係を絶っていたエッフェル氏が(没後とはいえ)草葉の陰で溜飲を下げるきっかけになることを願います。
エッフェル氏のオマージュに聖地巡礼?30 ヶ国の世界旅行はちょっとした(?!)チャレンジイベントになるでしょう。
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