<W解説>先月、日朝が接触していた?2004年5月を最後に開かれぬ首脳会談、膠着状態は打破できるか
<W解説>先月、日朝が接触していた?2004年5月を最後に開かれぬ首脳会談、膠着状態は打破できるか
韓国の有力紙・中央日報が13日、日本と北朝鮮の代表団が5月中旬にモンゴルの首都、ウランバートル近くで接触したと、複数の情報筋の話として伝えた。北朝鮮は今年3月、キム・ジョンウン(金正恩)総書記の妹・ヨジョン(与正)氏が「日本とのいかなる接触も交渉も拒否する」との立場を示していただけに、接触が事実ならば、北朝鮮側の意図は何なのか。日朝交渉は暗礁に乗り上げているが、日本政府は水面下では動いているとみられ、今後、膠着状態を打破するための突破口が開かれることなるか注目される。

同紙によると、接触の場には、北朝鮮からは情報機関の偵察総局や外貨稼ぎの関係者ら3人、日本からは政治家を含む代表団が出席したという。具体的な接触の目的や内容は不明だ。また、消息筋は同紙の取材に、双方は先週後半にも内モンゴルで再び会うことになっていたと話したが、記事は「計画通り、先週行われたかは定かではない」と伝えた。

北朝鮮の金与正氏は今年2月、国営の朝鮮中央通信を通じて談話を発表し、日朝関係について、「既に解決された拉致問題を両国関係の障害物として捨てるのなら、両国が近づけないわけはない。岸田文雄首相が平壌を訪問する日が来るかもしれない」と述べた。日朝交渉が暗礁に乗り上げる中、条件付きながらも北朝鮮が日本に対し融和姿勢をちらつかせたため、この談話は当時、注目が集まった。しかし、拉致問題は解決済みとする北朝鮮の主張を受け入れない立場を日本側が示すと、与正氏は翌月、「日本とのいかなる接触も交渉も拒否する」と表明した。

一方、岸田首相は、かねてから拉致問題の早期解決に向け、金正恩総書記との会談実現に意欲を示している。先月11日に東京で開かれた、拉致被害者の即時帰国を求める国民集会に出席した岸田首相は「トップ同士が腹を割って率直に話し合える関係をまず構築していくことが極めて重要だ。全力で行動していく」と改めて意欲を語った。

今月5日には、拉致被害者の一人、横田めぐみさんの父親で、被害者の家族会の初代代表を務めた横田滋さんが死去してから4年を迎えた。前日に妻の早紀江さんが記者会見し、「何の前進もなくむなしい」と心境を語った。また、早紀江さんは「岸田総理には金正恩総書記と互いに心を割って話し合いができる状態をつくり、早く解決への筋道を立ててほしい」と述べ、日朝首脳会談の早期実現を強く求めた。

日朝首脳会談は、2002年9月17日、当時の小泉純一郎首相が訪朝し、初めて行われた。キム・ジョンイル(金正日)総書記は拉致を認めて謝罪。拉致被害者5人は生存、横田めぐみさんら8人は死亡と伝えた。会談で両首脳は「日朝平壌宣言」を交わした。同宣言で両首脳は、日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが双方の基本利益に合致し、地域の平和と安定にも寄与することになるとの共通認識を確認した。宣言には国交正常化交渉の再開や日本による植民地支配の謝罪、北朝鮮による核問題解決の約束遵守などが盛り込まれた。

翌月、拉致被害者5人が帰国。そして2004年、小泉氏が再訪朝し、拉致被害者の家族5人が帰国した。しかし、これ以降、拉致問題に関して手詰まり状態が長く続き、北朝鮮は核開発にのめり込んでいった。2014年に日朝両政府は北朝鮮による拉致被害者らの再調査と日本による独自制裁の一部解除を盛り込んだ「ストックホルム合意」を発表した。北朝鮮は特別調査委員会を設置したが、2016年に核実験とミサイル発射を強行。日本が独自制裁を強化したことを受け、北朝鮮は委員会の解体を宣言し、進展への期待もむなしくストックホルム合意もとん挫した。2018年6月と19年2月の米朝首脳会談では、当時のトランプ米大統領が拉致問題を提起するも、北朝鮮が具体的な行動に出ることはなかった。日朝首脳会談は2004年5月を最後に一度も開かれないまま現在に至る。

日本と北朝鮮の関係者が先月下旬に接触したとの中央日報の報道に、林芳正官房長官は13日、「報道は承知しているが、事柄の性質上、答えは差し控える」と述べた。また、「日朝間の諸懸案の解決に向けて、首脳会談を実現すべく総理直轄のハイレベルで協議を進めていく考えに変わりはない」とした。

「日本とのいかなる接触も交渉も拒否する」(3月の与正氏の談話)としていた北朝鮮が、報道通り先月中旬に日本の代表団と接触していたとすれば、その意図は何なのか。中央日報は北朝鮮が内外で難局に直面する中、「経済的・外交的な突破口を模索しているといえる」と分析している。

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