広島市の平和記念公園で開かれた市主催の平和式典には被爆者や遺族ら約5万人が参列した。パレスチナ自治区ガザでの戦闘を続けるイスラエルの駐日大使の姿もあった。松井一美市長は、悪化する国際情勢を踏まえ、平和宣言で「希望を胸に心を一つにして行動を起こせば、核抑止力に依存する為政者に政策転換を促すことが必ずできる」と市民社会に呼び掛けた。岸田文雄首相は非核三原則の堅持を改めて表明し、「核軍縮に向けた機運を高めるべく、国際社会を主導していく」と述べた。式典では、この1年間に死亡が確認された5079人の名前を記した原爆死没者名簿を慰霊碑に納めた。犠牲者は34万4306人となった。
一方、韓国の慶尚南道の山あいの街、ハプチョンでもこの日、原爆犠牲者を追悼する慰霊式が行われた。ハプチョンには日本の統治時代に出稼ぎや徴用などで広島にわたって被爆し、終戦後に帰郷した人が多く暮らしている。聯合ニュースによると、被爆した韓国被害者約5万人のうち7割がハプチョン出身とされ、現在も存命の被害者約1700人のうち約250人がハプチョンで暮らしているという。ハプチョンにある慰霊閣には犠牲者の位牌が納められており、毎年8月6日には慰霊式が行われている。今年も被爆者や国会議員、地方自治体の関係者ら約300人が参列。慰霊閣に献花し、犠牲者を悼んだ。式典で、韓国原爆被害者協会のチョン・ウォンスル会長は核兵器について「どれほど無慈悲で非人間的な兵器なのか」とし、廃絶を訴えた。慶尚南道福祉女性局のシン・ジョンウ局長は「痛みの歴史を共に記憶し、犠牲者の犠牲が無駄にならぬよう、関心を持ち続け努力していく」と述べた。
また、前日の5日には広島市の平和記念公園にある韓国人犠牲者慰霊碑の前で慰霊祭が開かれ、犠牲者を追悼した。この慰霊祭は在日本大韓民国民団広島県地方本部の主催で開かれており、55回目となる今年は、在日韓国人や被爆者ら約250人が参列。この1年間に死去した4人の名前が加えられた2814人の死没者名簿を納めた。出席者全員で黙とうしたほか、チマ・チョゴリ姿の女性たちが慰霊の歌を捧げた。同本部のキム・ギソン団長は「世界平和と人類繁栄を胸に刻み、原爆犠牲者から受け継いだ全ての記憶を次の世代へとつなげられるよう最善を尽くす」と追悼の辞を述べた。慰霊祭には韓国国外で暮らす韓国人らを支援する在外同胞庁のイ・サンドク庁長も出席。「二度と原爆という惨事が繰り返されないよう、人類の共同繁栄と世界平和の増進に最善を尽くす」と述べた。
慰霊碑は1970年に建立された。「死者の霊は亀の背に乗って昇天する」との故事にならって、亀をかたどった台座の上に碑柱が建ち、その上に双竜を刻んだ冠が載せられている。碑は当初、朝鮮王家の一族で軍人として広島に赴任していた李殿下が原爆被災後に一時避難していたとされる場所に建てられたが、「平和記念公園の外にあるのは差別的だ」との批判が上がり、99年に公園内に移された。
昨年5月、先進7か国首脳会議(G7サミット)拡大会合に出席するため広島を訪れた韓国のユン・ソギョル(尹錫悦)大統領は、岸田首相と共にこの慰霊碑を訪れ献花した。日韓首脳がそろって慰霊碑を訪れるのは初めてのことだった。
敗戦時、日本には約300万人の朝鮮半島出身者がおり、数万人が広島市内で被爆したとされている。
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