<W解説>韓国の寺と所有権争った対馬の仏像、13年の時を経てようやく返還
<W解説>韓国の寺と所有権争った対馬の仏像、13年の時を経てようやく返還
長崎県対馬市の観音寺から盗まれ、韓国に持ち込まれた仏像「観世音菩薩坐像(かんぜおんぼさつざぞう)」をめぐり、今月24日、韓国で、仏像を対馬市に引き渡す手続きが行われた。韓国で所有権を主張してきた中部・チュンチョンナムド(忠清南道)ソサン(瑞山)の浮石寺とやり取りした書簡では、像は浮石寺で「法要」を行った後、5月前半に返還すると明記されている。観音寺の関係者らが24日、像が保管されている大田市の国立施設を訪れ、韓国側から13年ぶりに返還を受けたが、法要のために一旦、浮石寺に「貸与」された。

観音寺が所蔵していた長崎県の指定有形文化財「観世音菩薩坐像」は2012年10月、韓国人窃盗団によって盗まれ、韓国に持ち込まれた。翌2013年に窃盗団が韓国警察に逮捕され仏像は押収されたが、浮石寺は仏像について「中世の時代に倭寇に略奪されたものだ」と主張。2016年に韓国政府を相手取って、仏像の日本への返還差し止めを求める訴訟を起こした。仏像を早期に日本に返還する予定だった韓国政府にとっても浮石寺の提訴は寝耳に水のことだった。

一審で韓国の裁判所は、仏像の中から見つかった記録文書の内容と、1330年以降、5回にわたって倭寇が瑞山地域に侵入したとする高麗史の記録などから、仏像が略奪などによって浮石寺から持ち出されたと判断。2017年、裁判所は「仏像は浮石寺の所有と十分に推定できる」として、仏像の浮石寺への引き渡しを命じた。この判決に日本側は反発し、日韓関係悪化の一因にもなった。

韓国政府は、一審判決後、仏像と浮石寺との関係が十分に証明されていないとして控訴し、中部・テジョン(大田)市の大田高裁で二審の審理が進められた。

そして大田高裁は2023年2月の控訴審判決で一審判決を取り消し、観音寺の所有権を認める判決を言い渡した。高裁は「1330年に浮石寺が仏像を制作したという事実関係は認めることができ、倭寇が略奪し、違法に持ち出したとみなせる証拠もある」とする一方、「当時の浮石寺が現在の浮石寺と同一の宗教団体ということが立証できない」と指摘。観音寺が一定期間にわたり、平穏かつ公然と持つことで所有権が認められる、日韓の民法上の「取得時効」が成立し、現在の所有権は観音寺側にあると認定した。浮石寺はこの判決を不服として大法院に上告した。

2023年10月、大法院は浮石寺側の訴えを退け、仏像の所有権は観音寺にあると認める判決を言い渡した。大法院は14世紀に仏像を作った「瑞州浮石寺」と現在の浮石寺は同一と認定した一方、民法上の「取得時効」が成立しているとした二審の判断を支持した。また、返還については、韓国政府が国際規範を考慮して検討する必要があると指摘した。

元徴用工訴訟問題と並んで日韓関係悪化の一因となってきたこの問題は、大法院判決を受け、仏像の日本への返却手続きが進むとみられていたが、その後もしばらく、返還に向けた目立った動きはなかった。

仏像はこれまで韓国政府の施設で保管されてきたが、浮石寺は、施設から仏像を浮石寺に一時的に移した上で、像の安寧を願って100日間の法要を執り行った後、観音寺側に返還する意向を示し、昨年6月、こうした内容を記した書簡を観音寺に送った。

昨年12月、両寺は書簡をやりとりし、観音寺は法要終了後の仏像の即時返還を条件に法要を承認。共同通信によると、書簡では、双方が共に「雨降って地固まる」とのことわざを引用し、円満解決を約束したという。共同は「今年の両国国交正常化60年に向け、返還は象徴的な出来事になりそうだ」と伝えた。

今月24日、像が保管されている韓国の施設で像の所有権の引き渡し手続きが行われた。観音寺の関係者らが施設を訪れて、韓国側から返還を受けた。日本メディアによると、観音寺前住職の田中節孝さんは「多くの方々のご支援で今日を迎えられた。日韓が末永く交流できるよう力を尽くす」と話した。対馬市の比田勝尚喜市長も同日、コメントを発表し、「盗難から12年以上が経過し、早期返還を求めている中で、このような経過を経て、私たちの大切な文化財が地域に戻って来ることを大変うれしく思っている」とした。

一方、前述のように、実際に像が対馬に戻るのは、浮石寺で法要が行われた後になる。24日は、一時的に像を韓国側に「貸与」する手続きも行われた。

日韓関係を冷え込ませる出来事の一つとなった像をめぐる争いは、13年の年月を経て、ようやく解決することとなった。
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