<W解説>韓国大統領府、年内に青瓦台へ=移転、回帰に1300億ウォンの血税が飛ぶ
<W解説>韓国大統領府、年内に青瓦台へ=移転、回帰に1300億ウォンの血税が飛ぶ
韓国大統領府をソウル・ヨンサン(竜山)からチョンワデ(青瓦台)に移す作業が慌ただしくなっている。青瓦台は歴代政権で長年、大統領府として使われたが、ユン・ソギョル(尹錫悦)前政権が「帝王的権力の象徴」と批判し、大統領府としての機能を現在の場所に移していた。だが、イ・ジェミョン(李在明)現政権は、大統領府を再び青瓦台に戻すことを決めた。大統領府は「本来あるべき場所である青瓦台に移転する」としている。大統領府は尹前政権下での竜山への移転に費用が約800億ウォン(約84億7000万円)、李現政権下での青瓦台への再移転に約500億ウォンかかり、韓国メディアは「往復の引越しに1300億ウォン」(ニュース専門チャンネルYTN)などと報じている。大統領府は、移転作業について、クリスマスごろに完了する見込みとしている。

青瓦台の名称は、官邸の屋根が青い瓦で葺(ふ)かれていることに由来する。周辺地域には、もともと高麗時代に王族が住んでいた。日本統治時代の1939年7月、朝鮮総督官邸が建設され、1948年に大韓民国が成立すると、初代大統領のイ・スンマン(李承晩)が旧・朝鮮総督官邸をキョンムデ(景武台)の名称で官邸・公邸として使用開始。1960年12月に第4代大統領のユン・ボソンが青瓦台に名称を変更した。

現在の青瓦台はノ・テウ(盧泰愚)政権時代の1991年に完成。米ホワイトハウスの面積の3倍を超える25平方メートルの広大な敷地の中に大統領の執務室のほか、大統領と家族が住む官邸、秘書官たちが詰める建物などが建てられた。大統領執務室がある本館と秘書たちが詰める建物の距離は500メートル以上もあったことからも、その広大さがわかる。かつて青瓦台には厳重な警備が敷かれ、秘書室長ですら大統領執務室を訪ねる際には事前に電話で許可を取る必要があった。

青瓦台をめぐっては、ムン・ジェイン(文在寅)政権(2017年5月~22年5月)の「密室政治」を批判した尹前大統領が、国民との距離を縮めたいとして「青瓦台を国民にお返しする」と宣言。2022年5月の尹氏の大統領就任式に合わせ、青瓦台の建物や敷地は市民らに開放された。1948年の政権樹立以来続いてきた権威主義的な「青瓦台時代」を終わらせたことは、韓国現代史における大きな転換点となったと、当時、評価する声が上がった。尹前大統領は、青瓦台から約6キロ離れたソウル・竜山区にある旧国防部庁舎に大統領執務室を構え、執務を開始。青瓦台内にあった公邸も同区ハンナムドン(漢南洞)に移した。

青瓦台の一般開放後は、大統領執務室や閣議用の部屋など、これまで決して立ち入ることができなかった場所が見学できるとあって、多くの観覧者で賑わいを見せた。国民の6人に1人が見学したとされる。

一方、ことし6月に就任した李大統領は、大統領選の候補者時から、竜山の大統領府について、「盗聴や警護問題などが深刻だ」と指摘し、「私が当選したら、いったん竜山の大統領室(府)を使うが、青瓦台を迅速に改修して移った方がいい」として、大統領府の機能を青瓦台に戻す方針を表明した。また、尹前大統領は、昨年12月に「非常戒厳」を宣言したことにより弾劾・罷免されたが、現在の大統領府は、その非常戒厳の「舞台」となった場所でもあり、現大統領室にはそうした尹前政権の負のイメージが強く、この点も再移転を決定づける理由の一つになったものとみられている。

李大統領の方針を受けて、ことし6月には、大統領府再移転のための経費として、259億ウォンの予備費支出を閣議決定した。青瓦台の一般公開もことし7月で終了し、これまで、大統領府を再移転させるための準備が進められてきた。先月には青瓦台の電気・通信設備に関わる工事が完了。今月9日からは、竜山の大統領府から、事務機器や書類、パソコンなどの業務用品の移転作業が始まった。通信社の聯合ニュースは9日、「移転にあたり、ソウル・竜山の大統領室(府)は床などに保護シートが貼られ、作業員らが行き来するなど慌ただしい雰囲気に包まれている」と伝えた。

一方、前述のように、大統領府の竜山への移転、青瓦台への再移転で計1300億ウォンの費用がかかる見通しで、この点を批判的に報じているメディアもある。また、朝鮮日報は先月25日付の社説で、「多くの人たちに公開されたここ(青瓦台)に(大統領府が)復帰すれば、セキュリティー上、問題があるとの声も多い」と指摘した一方、「尹前大統領による戒厳があまりにも特異なことだったため、李政権による青瓦台復帰に反対する声もあまりないのが実情だ」とした。

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