青瓦台は歴代政権で長年、大統領府として使われたが、ユン・ソギョル(尹錫悦)前政権が「帝王的権力の象徴」と批判し、大統領府としての機能を龍山の旧国防部庁舎に移した。だが、6月に発足した李政権は、大統領府を「本来あるべき場所である青瓦台に移転する」とし、作業が進められてきた。李氏は29日、青瓦台に初出勤した。韓国紙の東亜日報は「本格的な李在明政権の『青瓦台時代』が幕を開けた」と伝えた。
青瓦台の名称は、官邸の屋根が青い瓦で葺(ふ)かれていることに由来する。周辺地域には、もともと高麗時代に王族が住んでいた。日本統治時代の1939年7月、朝鮮総督官邸が建設され、1948年に大韓民国が成立すると、初代大統領のイ・スンマン(李承晩)が旧・朝鮮総督官邸をキョンムデ(景武台)の名称で官邸・公邸として使用開始。1960年12月に第4代大統領のユン・ボソンが青瓦台に名称を変更した。現在の青瓦台はノ・テウ(盧泰愚)政権時代の1991年に完成したものだ。
青瓦台をめぐっては、ムン・ジェイン(文在寅)政権(2017年5月~22年5月)の「密室政治」を批判した尹前大統領が、国民との距離を縮めたいとして「青瓦台を国民にお返しする」と宣言。2022年5月の尹氏の大統領就任式に合わせ、青瓦台の建物や敷地は市民らに開放された。1948年の政権樹立以来続いてきた権威主義的な「青瓦台時代」を終わらせたことは、韓国現代史における大きな転換点となったと、当時、評価する声が上がった。尹氏は、青瓦台から約6キロ離れたソウル・竜山区にある旧国防部庁舎に大統領執務室を構え、執務を開始。青瓦台内にあった公邸も同区ハンナムドン(漢南洞)に移した。
青瓦台の一般開放後は、大統領執務室や閣議用の部屋など、これまで決して立ち入ることができなかった場所が見学できるとあって、多くの観覧者で賑わいを見せた。国民の6人に1人が見学したとされる。
一方、今年6月に就任した李大統領は、大統領選の候補者時から、龍山の大統領府について、「盗聴や警護問題などが深刻だ」と指摘し、「私が当選したら、いったん龍山の大統領室(府)を使うが、青瓦台を迅速に改修して移った方がいい」として、大統領府の機能を青瓦台に戻す方針を表明した。また、尹氏は、昨年12月に「非常戒厳」を宣言したことにより弾劾・罷免されたが、その宣言もなされた龍山の大統領府は、いわば非常戒厳をめぐる混乱の「舞台」となった場所といえる。現政権には、青瓦台に戻ることで、前政権の負のイメージからの脱却を図りたいとの思いもあったとみられる。
李氏の方針を受けて、今年6月には、大統領府再移転のための経費として、259億ウォン(約28億2400万円)の予備費支出を閣議決定した。青瓦台の一般公開も今年7月で終了し、これまで、大統領府を再移転させるための準備が進められてきた。
作業が完了し、青瓦台には29日、「鳳凰旗」(韓国大統領旗)が掲げられた。李氏は同日、青瓦台に初出勤した。通信社の聯合ニュースによると、李氏はこの日午前9時過ぎに青瓦台入りした。周辺には支持者らが集まり、太極旗(韓国国旗)を振りながら初出勤を歓迎したという。本館に着き、車から降りた李氏は、黒いコートに、大統領就任宣誓式でも着用した白、赤、青の色が入ったストライプのネクタイ姿だった。聯合はこのネクタイについて「『統合』を象徴するもの」と指摘。「新たに移した(大統領)執務室の青瓦台でも、就任初日と同じ覚悟で『みんなの大統領になる』との姿勢を示したものと受け止められる」と伝えた。
李氏は参謀を近い場所に集めて意思疎通を密にしたいと希望。秘書室長や政策室長、安保室長の3室長と同じ建物で執務を行うという。カン・フンシク大統領秘書室長は「(米国の)ホワイトハウスに近い形で、大統領が3階、2階に3室長、1階に首席秘書官が入る構造にした」と説明した。
約3年7カ月ぶりに再び「青瓦台時代」が幕を開けたが、李氏は任期中に大統領執務室を中部の行政都市・セジョン(世宗)に移転したい考えを示しており、東亜日報は「再び始まった青瓦台時代がどれほど続くかは未知数だ」と伝えた。
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