<W解説>長生炭鉱で遺骨発見も、未だDNA鑑定行われず=求められる日韓両政府の政治決断
<W解説>長生炭鉱で遺骨発見も、未だDNA鑑定行われず=求められる日韓両政府の政治決断
太平洋戦争中に、朝鮮半島出身者を含む183人が水没事故で亡くなった海底炭鉱「長生炭鉱」(山口県宇部市)をめぐり、8月に遺骨を収容した地元の市民団体は12月23日、早期に遺族のもとへ遺骨を引き渡すため、日韓政府共同によるDNA鑑定の実施を求めた。市民団体は遺族が高齢化していることから、早急な身元の特定を求めているが、遺骨の収容以降、進展がなく、たなざらしの状態が続いている。超党派の国会議員でつくる日韓議員連盟と韓国の韓日議連は、昨年11月に開いた合同総会で、遺骨の身元確認などに向けて両国会が積極的に関与することなどを盛り込んだ共同声明をまとめている。市民団体は、2月までに遺骨のDNA鑑定が行われない場合、独自で鑑定を進めるとしている。

長生炭鉱は宇部市の東部、瀬戸内海に面した床波海岸にあった海底炭鉱で、1914年(大正3年)に開鉱。最盛期には炭鉱内外で約1000人が働いていた。多くの石炭産出が求められていた太平洋戦争中の1942年2月、本抗口から約1キロメートルの坑道内で異常出水し、坑内で働いていた183人が犠牲になった。同炭鉱の労働者は朝鮮半島出身者が多く、「朝鮮炭鉱」とも呼ばれた。犠牲者のうち7割に及ぶ136人は朝鮮半島出身労働者だ。事故後、遺体が捜索されないままに抗口が閉じられ、犠牲者は海底に取り残された。

事故当時の報道はわずかで、長く事故について取り上げられることはなかったが、1991年、事故の史実を正しく刻もうと、地元に市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会(刻む会)」が発足した。団体名に含まれる「水非常」とは、1942年に起きたような炭鉱での水没事故のことをいう。刻む会はこれまで、犠牲者全員の名前を刻んだ追悼碑を建立したほか、同炭鉱の跡として残る排気・排水用の構造物「ピーヤ」の保存、事故を知る人の証言や資料の収集などの活動を行ってきた。また、毎年、事故の日に合わせ、韓国から犠牲者の遺族を招いて、追悼集会を行っている。

また、刻む会は遺骨を遺族のもとに返したいと、30年ほど前から遺骨の収容を国や県に求めてきたが、交渉は難航した。そのため、刻む会はクラウドファンディングで資金を集め、遺骨の収容に向け、昨年から独自で潜水調査を実施。昨年8月、複数の人骨を発見し、収容した。現在、警察が保管している。

これを受け、11月には、韓国から行政安全部(部は省に相当)で戦争前後の問題を担当する過去史関連業務支援団のチャン・ドンス団長ら5人が現地を訪れ、刻む会から案内を受けた。刻む会の井上洋子代表は、これまで実施した潜水調査や、8月に遺骨の一部が発見された経緯などを説明した。チャン団長は「政府としてできることはないか考えていきたい」と話した。

11月には訪韓した日韓議員連盟と韓国の韓日議連が共同声明をまとめ、遺骨の身元確認に向けて両国の国会が積極的に関与するとした。また、12月、日本記者クラブで記者会見を開いたイ・ヒョク駐日韓国大使は遺骨調査に関連し、「両国の当局間で対話が進むことに期待している」と述べた。

刻む会は、日韓両政府共同によるDNA型鑑定の早期実施を求め続けている。しかし、遺骨発見以降、これまで進展がない。同会は12月23日、国会内で関係省庁の担当者と面会した。現状を尋ねたところ、現在もDNA鑑定は実施されていないことが報告された。外務省の担当者は「韓国とは丁寧かつ緊密なやりとりをしている。遺骨の早期返還が重要だという認識を共有しており、今後も韓国政府との協議を進めていく」と述べた。また、同会は厚生労働省に対し、調査と収容の支援を求めているが、同省は「安全への懸念を払しょくできていない」として、後ろ向きな姿勢を示している。同会の井上共同代表は「DNA鑑定が進んでいないのは残念だ。遺族に残された時間は少なく、1日も早い鑑定のために、日本政府には政治決断をしてほしい」と求めた。

今月中旬には、韓国のイ・ジェミョン(李在明)大統領が訪日し、高市早苗首相との首脳会談を開く方向で調整が進められており、同会は会談での進展に期待している。また、同会は2月には大規模な遺骨調査を予定しており、新たに遺骨が見つかる可能性がある。上田慶司事務局長は、関係省庁の担当者との面会後に開いた記者会見で、「1月に予定されている日韓首脳会談、最終的には2月の遺骨収容までに日韓が共同でやることが確認できなかった場合、刻む会で独自に鑑定する。2026年を必ず遺骨を遺族に返す年にする」と述べた。

Copyright(C) wowneta.jp