韓氏は検事出身で、2003年に起きた財閥SKグループの系列会社の粉飾会計事件や、2016年に表面化したパク・クネ(朴槿恵)政権下での国政介入事件など、数々の大型事件を担当した。大検察庁(最高検)検事長など検察で要職を務めた「エリート検事」として知られた。尹前大統領も検事出身で、韓氏は尹氏の検察時代からの最側近だった。尹政権では法相に抜擢された。
その後、「国民の力」は2023年12月、党の支持率低迷などを受けて辞任した前任の代表の後任として、当時、将来の大統領候補として期待する声もあった韓氏を党トップの非常対策委員会の委員長に指名した。当時、総選挙を控える中、党としては大衆的にも人気があった韓氏を党トップに起用することで若い世代や無党派層の支持拡大を図り、勝利につなげたい考えだった。当時、韓氏は「庶民と弱者の側に立ち、この国の未来に備えたい」と意欲を語っていた。
大きな期待を背負って党トップに就任した韓氏だったが、大統領府は2024年1月、韓氏の辞任を要求した。当時、尹氏と韓氏との意見の対立が背景にあるとの見方が広がった。結局、同年4月の総選挙で「国民の力」は大敗。韓氏は「民意は常に正しい。国民から選ばれるに足りなかったわが党を代表して国民におわびする」と謝罪し、非常対策委員長を辞任した。しかし、同年7月の党代表選で韓氏は代表に返り咲いた。
一方、韓氏と尹氏との間に空いた溝は埋まらず、そんな中、同年12月、尹氏は「非常戒厳」を宣言。これは韓国憲法が定める戒厳令の一種で、戦時や事変など非常事態に、軍事上、必要となる場合や公共の秩序を維持するために大統領が発令するものだ。行政や司法の機能は軍が掌握し、言論・出版・結社の自由を制限することも認められる。
1987年の民主化以降初めてとなる非常戒厳の宣言を受け、当時、武装した戒厳軍の兵士がガラスを割って国会議事堂に突入。軍事政権時代を連想させる事態に、国会前には多くの市民が集まり、戒厳に反対するシュプレヒコールを上げたほか、軍の車両を取り囲むなど騒然とした。
だが、戒厳令は国会議員の過半数が解除を求めた場合、大統領はこれに応じなければならず、発令直後、国会で本会議が開かれ、出席議員の全員が解除に賛成。尹氏はわずか6時間で非常戒厳を解いた。
しかし、その後もしばらく社会の混乱は続いた。保守、革新の政治的な対立が激化し、社会の分断が進んだ。
尹氏は弾劾訴追されたが、韓氏は国会での尹氏の弾劾訴追案に賛成したほか、所属議員にも賛成を呼び掛けた。当時、尹氏に近い議員らは激しく反発。党内の対立が深まり、韓氏は2024年12月、党代表を辞任した。
同党はその後、野党に転落。尹前政権で与党だった同党は支持率低迷が続いている。
党は先月29日、最高委員会議を開き、韓氏の家族がインターネット上の党員掲示板で尹氏夫妻らを誹謗中傷し、党の名誉と利益に損害を与えたとして、韓氏の除名を決定した。党はこの日、チャン・ドンヒョク代表ら9人が採決に参加し、7人が賛成した。韓国紙の東亜日報は「李政権発足の2022年に当時のイ・ジュンソク(李俊錫)代表が事実上排除されて以降、代表や非常対策委員長は9回も交代してきたが、今回は元代表を除名に踏み切った」と伝えた。
除名処分を受けて、韓氏は記者会見し、「私を除名することはできても、国民のために良い政治をするという思いをくじくことはできない」とし、「必ず戻ってくる」と述べた。韓氏に近い議員は、韓氏が尹氏の弾劾に賛成したことへの報復だとして反発している。
東亜日報は、韓氏について「今後の政治的選択肢にも関心が集まっている」と伝えた。韓国では6月に統一地方選や国会議員補欠選挙が予定されており、無所属での出馬や、新党結成の可能性も指摘されている。韓氏の今後が注目されるが、同紙は「当面、支持層の結集に注力するとみられる」と伝えた。
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