「国民の力」は2020年9月に結党した。保守大統合を掲げ、「自由韓国党」と「新しい保守党」が合流して誕生した前身の「未来統合党」が同年4月の総選挙で惨敗。党名変更して「国民の力」が誕生した。党名に「国民」が入れられたのは、保守色を薄めて首都圏の中道層の取り込む狙いがあった。当時、党再建を担っていた非常対策委員長は「弱者に寄り添い、国民統合の先頭に立つ政党に体質を変えていく」と宣言した。「国民の力」は21年のソウル市とプサン(釜山)市の両市長選、そして22年の大統領選、地方選に勝利した。
しかし、同党が与党だった2024年12月、当時の尹大統領が「非常戒厳令」を宣言。非常戒厳令は韓国憲法が定める戒厳令の一種で、戦時や事変など非常事態に、軍事上、必要となる場合や公共の秩序を維持するために大統領が発令するものだ。1987年の民主化以降初めてとなる非常戒厳令の宣布を受け、当時、武装した戒厳軍の兵士がガラスを割って国会議事堂に突入。軍事政権時代を連想させる事態に、国会前には多くの市民が集まり、戒厳に反対するシュプレヒコールを上げたほか、軍の車両を取り囲むなど騒然とした。尹氏はわずか6時間で非常戒厳を解いたが、その後もしばらく社会の混乱は続いた。保守、革新の政治的な対立が激化し、社会の分断が進んだ。尹氏は罷免され、それに伴い昨年6月に行われた大統領選挙では革新系「共に民主党」のイ・ジェミョン(李在明)氏が勝利。「国民の力」は野党に転落した。
一方、尹氏は内乱首謀罪などに問われ、裁判にかけられた。ソウル中央地裁は先月、尹被告に無期懲役を言い渡した。戒厳が内乱と言えるかが最大の争点だったが、裁判所は非常戒厳の宣言について「国会や政治活動を麻痺(まひ)させようとした目的が明確」と指摘。尹被告が国会に軍を送ったことは「内乱」と認定した。韓国で大統領経験者に無期懲役が言い渡されたのは、民主化を求める市民のデモを軍が武力で鎮圧した1980年5月のクァンジュ(光州)事件で内乱罪などに問われたチョン・ドゥファン(全斗煥)元大統領以来のことだった。
判決を受け、尹前政権時に与党として支えた「国民の力」は、チャン代表が記者会見を開き、心境を語った。チャン氏は尹氏に下された一審判決について「残念で惨憺(さんたん)たる思い」とした。その上で「『国民の力』は戒厳は内乱ではないという立場を明確にしてきた」とし、「一審判決はこのような主張を覆す十分な根拠や説明を示していない」と判決を批判した。また、チャン氏は党内から出ている戒厳への謝罪と尹氏との絶縁を求める声について、「謝罪と絶縁の主張を繰り返すことは分裂の種を招くことだ」とし、「自らの利益のために大統領の名前を利用する勢力、大統領との絶縁を前面に出して党を分断しようとする勢力、絶縁すべき対象はむしろ彼らだ」と主張した。チャン氏は昨年8月に党代表に就任して以降も一貫して「非常戒厳令は国会の暴挙に対抗するためだった」などと主張し、尹氏を擁護。尹氏との決別を拒んでいる。
同党の岩盤支持層は「ユン・アゲイン」を主張し、チャン氏ら党執行部に同調しているが、中道保守層は離れたほか、尹氏が宣言した戒厳令を有権者の大半が否定している中で、同党の支持率は低迷し続けている。韓国ギャラップが先月24~26日に、全国の満18歳以上の1000人を対象に実施した世論調査で、同党の支持率は22%だった。一方、与党「共に民主党」は43%で、「国民の力」に20ポイント以上差をつけた。この結果を伝えた東亜日報は「党内では、党支持層の意識と、民意の極端な乖離について、『危機の出口が見えない状況だ』との声が出ている」と伝えた。
こうした状況のまま6月の統一地方選に突入すれば、党消滅の可能性もあり得るとの懸念も出ている。同紙によると、党非常対策委員長を務めたキム・ヨンテ議員は同紙の取材に、「党支持率は非常事態の水準だが、それを認識できていない党の現状がより深刻な非常事態だ」と指摘した。
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