「済州島四・三事件 ハラン」韓国版1次ポスター
「済州島四・三事件 ハラン」韓国版1次ポスター
韓国南部のチェジュ(済州)島で島民ら約3万人が犠牲になった「済州4・3事件」から78年となった今月3日、追悼式が同島にある「済州4.3平和公園」で開かれた。事件は韓国で起きた「国家による暴力」の代表的な事例とされている。イ・ジェミョン(李在明)大統領はフランス首脳の訪韓日程のためこの日の追悼式には出席できなかったが、先月29日、同島を訪問。「国家の暴力で国民が犠牲になることがないようにする。そうしたことが起きたら、ナチスの戦犯を処罰するように永久に責任を取らせる」と強調した。また、日本では事件を扱った韓国映画「済州島四・三事件 ハラン」の公開が始まった。

韓国映画「済州島四・三事件 ハラン」のキャスト、公開日、あらすじ

「4・3事件」は1948年4月3日に発生し、1954年9月21日まで続いた、警察や軍による島民虐殺事件。当時韓国は日本から独立したもののすぐに韓国政府を設立できず、米国政府の支配下にあった。一方、北朝鮮はソ連に支配されていた。後に韓国の初代大統領となるイ・スンマン(李承晩)を中心とした勢力は当時、南朝鮮(韓国)だけで選挙をすべきと主張していた。しかし、朝鮮半島の南側だけでの総選挙実施は南北分断を固定化するとして左派勢力の島民らが反対し、武装蜂起。これに対抗した警察や軍は鎮圧を名目に多数の住民を虐殺し、左派も非協力的な住民を殺害した。48年8月の韓国政府樹立後も虐殺は続き、約3万人が犠牲になったとされる。同じ韓国国民同士で多くの血を流した韓国の現代史の中で最も残酷で悲劇的な事件といわれている

事件は半世紀にわたりタブー視されてきたが、近年、被害者は「国家権力」によって犠牲になったとの見方が定着している。キム・デジュン(金大中)政権の2000年、事件の真相究明と犠牲者の名誉回復を目指す「済州4・3特別法」が施行された。同法に基づき発足した委員会が証言や資料を収集し、報告書を作成。2003年には当時のノ・ムヒョン(盧武鉉)大統領が、過去の国家権力の過ちを認め国民に謝罪した。

済州市内には事件で多くの人が凄絶(せいぜつ)な人生を送った歴史を記憶し、二度と同じ過ちを繰り返さないことを誓うため、2008年3月に済州4・3平和公園が完成した。公園内には記念館があり、展示室の入り口には何も刻まれていない碑石が置かれている。「4・3事件」は通称で正式名称は現在もない。碑石に何も刻まれていないのはそのためで、「いつか正しい名を刻んで碑を立てる」との意味が込められている。

同公園では、毎年、事件が発生した4月3日に追悼式が行われている。事件から78年となった今年もキム・ミンソク首相やウ・ウォンシク国会議長、各党の代表のほか、遺族や地元住民ら約2000人が出席して執り行われた。出席者は犠牲者に黙とう、献花、焼香を捧げた。キム氏は「4・3事件の真実に向き合い、正しい歴史を記録することは我々が果たさなければならない時代的、歴史的な使命だ」と述べた。その上で、「真実を究明し、犠牲者と遺族の名誉回復に最善の努力を尽くす」と強調した。

同事件は韓国で起きた「国家による暴力」の代表的な事例とされており、先月29日に済州島を訪れ、犠牲者遺族と面会した李大統領は、「残忍な国家暴力の犠牲になった済州島民に、大統領として非常に申し訳なく思う」と謝罪し、「国家による暴力」の再発防止を強調した。李氏は国家暴力犯罪に対する刑事事件の公訴時効や民事上の消滅時効を完全に撤廃する考えを示し、「最後まで責任を負わせる」とした。また、事件をめぐる名誉回復と歪曲・中傷防止のための制度改善を図るとした。

追悼式が開かれた3日、日本では同事件を扱った「済州島四・三事件 ハラン」の公開が始まった。作品では、同事件を背景に、島に住む母アジンと娘ヘセンの命がけの逃避行を描いている。2013年にソウルから同島に移住したハ・ミョンミ監督は、移住後に事件について詳しく知る中で心を痛め、犠牲者を思い、悼む場を作りたいと同事件を扱った映画の制作を決めたという。3日にはポレポレ東中野(東京)で公開初日舞台あいさつが行われた。登壇したハ監督は「長い間、被害者の家族をはじめ、この事件についてほとんど話すことができなかった。もし今後、皆さんが済州島を訪れる機会があったら、済州島の土地にこういう人たちが眠っているかもしれないということを考えていただけたらと思う」と述べた。

事件をめぐっては、混乱の中、当時、海を渡り日本へ逃れた島民も多くいたほか、近接する対馬(長崎)の海岸には多くの遺体が漂着したとの記録も残っている。
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