光州事件は、光州で武装した市民が軍と衝突し、多数の死傷者が出た民主化運動。光州市によると、10日間続いた市民らと軍の衝突による死者・行方不明者は240人以上にのぼる。ただ、正確な死者数など不明点も多く、韓国政府による記録や統計もない。
事件を指揮した全氏は、退任後の1995年に事件の責任を問われて逮捕され、無期懲役刑が確定。追徴金2205億ウォン(現在のレートで約224億円)の支払いを命じられた。しかし、1997年に特赦(恩赦)で釈放された。その後、2021年11月に90歳で死去したが。全氏が生前、事件の過ちを認めず、謝罪を拒み続けてきたことから国民の全氏への評価は厳しく、韓国政府は国家葬(国葬)を見送った。
全氏は生前の2017年、回顧録「全斗煥回顧録第1巻・混沌(こんとん)の時代(1979~1980年)」を出版。回顧録の中で全氏は事件を「暴動」と定義し、光州で民間人に対する国軍の意図的かつ無差別な殺害行為はなかったと主張した。しかし、80年以降の真相調査の結果、死者・行方不明者は240人以上にのぼることが明らかになっている。当時、軍がデモ鎮圧のために空輸部隊を派遣したことで、民間人の殺傷被害を増やしたことも、各種資料や証言によって歴史的事実として記録されている。また、全氏は回顧録で自身について「光州事件の治癒のためのいけにえ」などと出張した。さらに、全氏は、事件当時、戒厳軍によるヘリコプターからの射撃を目撃したと証言した神父について、「聖職者という言葉が無意味なうそつき」と表現した。
これに対し、事件の真相究明に取り組む「5・18記念財団」など4団体と神父の遺族は、名誉を棄損されたとして全氏らを相手取り、出版・配布禁止の仮処分申請と合わせて損害賠償訴訟を起こした。2018年の一審は「回顧録に虚偽事実が含まれている」とし、全氏側に対し、4団体に計6000万ウォン(約650万円)、神父の遺族に1000万ウォンを賠償するよう命じた。全氏は判決を不服として控訴したが、21年に死去したため、その後は妻が訴訟を引き継いだ。22年の二審でも裁判所は同額の賠償を命じた。そして今年2月、大法院は二審の判断を確定。提訴から9年を経て、最終判断が示された。大法院は、回顧録で虚偽の事実を記述することで関連団体の社会的評価を侵害したと指摘。また、戒厳軍によるヘリ射撃に関する虚偽の事実を適示し、証言した神父を侮辱したことは、遺族の追悼の思いを侵害するものだとした。賠償額の支払いのほか、回顧録の中の表現70項目のうち69項目を削除対象とし、応じなければ出版や配布を禁じるとした。
しかし、報道によると、判決で削除対象とされた内容を読み上げる動画チャンネルが、動画投稿アプリで約1年にわたって視聴可能となっていることがわかった。「全斗煥回顧録第1巻で削除された内容とは何か」とのタイトルの動画で、序文1か所と第4章「5・18、神話の座を占めた歴史」の68か所を順に取り上げて読み上げる内容となっている。判決で削除対象となった「光州事態の衝撃が消えないうちに大統領になったことが原罪となり、その十字架を背負うことになった」とする記述や、判決で神父への名誉棄損が確定した表現などがそのまま読み上げられている。チャンネルの開設者は「韓国では(北朝鮮の)キム・イルソン(金日成)主席の回顧録を読む自由はあるが、全斗煥回顧録を読む自由はない」と主張している。
事件から来月18日で46年となる中、動画は波紋を広げている。
Copyright(C) wowneta.jp
