<W解説>韓国から対馬に戻った仏像、九州国立博物館で展示中=対立越え日韓交流の新たなスタートに
<W解説>韓国から対馬に戻った仏像、九州国立博物館で展示中=対立越え日韓交流の新たなスタートに
長崎県対馬市の観音寺から盗まれて韓国に持ち込まれ、昨年5月に返還された仏像「観世音菩薩坐像(かんぜおんぼさつざぞう)」が、今月7日から福岡県太宰府市の九州国立博物館で公開されている。対馬市以外では初めての公開となる。長年続いた仏像をめぐる日韓両国の対立は昨年5月の返還によってようやく決着がついた。長崎新聞によると、同館の大澤信主任研究員は「仏を祈る心に国境はないと思う。この展示が日韓の文化交流の新たなスタートになればと願う」と話している。展示は8月30日まで。

長崎県の指定有形文化財「観世音菩薩坐像」は2012年10月、韓国人窃盗団によって観音寺から盗まれ、韓国に持ち込まれた。翌13年に窃盗団が韓国警察に逮捕され仏像は押収されたが、韓国・中部・チュンチョンナムド(忠清南道)ソサン(瑞山)にあるプソク(浮石)寺は、仏像について「中世の時代に日本に略奪されたものだ」と主張。16年に韓国政府を相手取って、仏像の日本への返還差し止めを求める訴訟を起こした。仏像を早期に日本に返還する予定だった韓国政府にとっても浮石寺の提訴は寝耳に水のことだった。

一審で韓国の裁判所は、仏像の中から見つかった記録文書の内容と、1330年以降、5回にわたって日本人を中心とする海賊集団・倭寇(わこう)が瑞山地域に侵入したとする高麗史の記録などから、仏像が略奪などによって浮石寺から持ち出されたと判断。17年、裁判所は「仏像は浮石寺の所有と十分に推定できる」として、仏像の浮石寺への引き渡しを命じた。この判決に日本側は反発し、日韓関係悪化の一因にもなった。

韓国政府は、一審判決後、仏像と浮石寺との関係が十分に証明されていないとして控訴し、中部・テジョン(大田)市の大田高裁で二審の審理が進められた。

そして大田高裁は23年2月の控訴審判決で一審判決を取り消し、観音寺の所有権を認める判決を言い渡した。高裁は「1330年に浮石寺が仏像を制作したという事実関係は認めることができ、倭寇が略奪し、違法に持ち出したとみなせる証拠もある」とする一方、「当時の浮石寺が現在の浮石寺と同一の宗教団体ということが立証できない」と指摘。観音寺が一定期間にわたり、平穏かつ公然と持つことで所有権が認められる、日韓の民法上の「取得時効」が成立し、現在の所有権は観音寺側にあると認定した。浮石寺はこの判決を不服として大法院(最高裁)に上告した。

23年10月、大法院は浮石寺側の訴えを退け、仏像の所有権は観音寺にあると認める判決を言い渡した。大法院は14世紀に仏像を作った「瑞州浮石寺」と現在の浮石寺を同一と認定した一方、民法上の「取得時効」が成立するとした二審の判断を支持した。

元徴用工訴訟問題と並んで日韓関係悪化の一因となってきたこの問題は、大法院判決を受け仏像の日本への返却手続きが進むとみられていたが、その後もしばらく返還に向けた目立った動きは見られなかった。

仏像はこれまで韓国政府の施設で保管されてきたが、浮石寺は、施設から仏像を浮石寺に一時的に移した上で、像の安寧を願って100日間の法要を執り行った後、観音寺側に返還する意向を示し、2024年6月、こうした内容を記した書簡を観音寺に送った。書簡では、双方の寺が共に「雨降って地固まる」とのことわざを引用し、円満解決を約束した。

仏像は昨年5月に12年半ぶりに観音寺に返還され、防犯面などを考慮し、対馬市内の対馬博物館に寄託された。今月7日からは九州国立博物館で開催中の特集展示「九州渡来仏」に出展され公開されている。

一時は日韓文化財問題の象徴ともなったこの仏像問題だが、今やこの仏像を通して日韓の文化交流の橋が築かれ始めている。仏像のレプリカを制作したいとの浮石寺側からの申し入れを受け、観音寺は仏像を3D計測したデータを提供した。これに基づき韓国でレプリカが作られ、このほど完成。今年5月、浮石寺に安置された。

九州国立博物館での観世音菩薩坐像の展示は7日から始まったが、前日の報道向け説明会には韓国メディアの関係者の姿もあった。長崎新聞によると、観音寺の田中節孝前住職は「一人でも多くの人に見に来てもらい、身近に感じてほしい」と話している。また、FBS福岡放送によると、前出の同館の大澤主任研究員は「観音寺の仏様をはじめ、九州に伝わったたくさんの渡来仏を通じて、仏様が日本と韓国、中国をつなぐ存在になってほしい」と話した。
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