アンコール・トムとは「大きな町」という意味です。アンコール・トムは、一辺3kmの正方形の土地を堀と高さ8mのラテライトの城壁で囲まれています。城内には十字に主要道路が配置されていて、”東大門” ”南大門” ”西大門”、東側に”勝利の門”と”死者の門”の5つの門があります。
この辺りは、12世紀初めに建てられたアンコール・ワットの後の半世紀後、1177年にベトナムのチャンバ軍によって王都が奪われました。1181年にそれを解放したジャヤヴァルマン7世が王として即位して、12世紀後半にアンコール朝の都城として建設した石造りの城寺院がアンコール・トムです。
その後、アンコール朝の衰えにより、1431年頃、シャム(タイ)軍の侵入を受けて、この都城は放棄され、アンコール朝は終焉となります。
残された巨大な石造寺院も密林に深く覆われてしまいましたが、1860年にこの地を訪れたフランス人博物学者アンリ・ムオの発見によってアンコール・ワットおよび周辺の寺院は、その存在を広く世界に知られることとなりました。密林に佇む壮大なアンコール・ワットを目にしたムオは「深い暗黒から光明の中に移されたようだ」と書き記しています。
まず、アンコール・ワットとアンコール・トムを結ぶ南大門から都城に入ります。門の上には巨大な四面に観音菩薩の顔を彫られた四面塔と呼ばれる岩があって、四面塔の顔の長さだけで3メートルもあります。下の道路はバスも通れるぐらいの広さがあります。南大門の両側には、神々と阿修羅がナーガ(大蛇)の胴体を引き合う54体の像があります。
そのまま、都城アンコール・トムの中央にあるバイヨンへ向かいます。12世紀初めのアンコール・ワットまでがヒンドゥー教で、12世紀末のアンコール・トムから仏教に変わります。
アンコール・トムの中心にあるバイヨンは、メール山(須弥山[しゅみせん])を象徴しています。メール山とは、古代インドの宇宙観によると、神々の住む聖域で、また神が降臨する場所でもあります。東西南北へ延びる幹線道路は、メール山から世界に向かう道を象徴し、城壁はヒマラヤの霊峰、城壁を取り巻く環濠は大海を表していて、神の世界をそのまま地上に作り上げています。
バイヨンには、いたる所に四面塔が立ち並んでいます。東西160m、南北140mの第一回廊の壁面には、庶民の生活を中心としたがレリーフがぎっしりと彫られています。
象のテラスを通って、ピミアナカス王宮へ入ります。象のテラスは、かつて儀式や式典に使われたとされています。
王宮は木造で造られていた為、今は何も残っていません。クメールの建築は、宗教的な寺院は恒久的に残る石で、人間である王の宮殿は自然の恵みの象徴する木造というように、素材を使い分けていました。
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