パク氏は、ユン・ドンミン前大使の後任として昨年8月に着任した。パク氏は米コロンビア大で「現代日本政治研究」により政治学の博士号を取得するなど、日本の政治や外交政策、日韓関係に詳しい専門家として知られ、当時、日本の政界にも精通した人物の起用に、韓国紙の朝鮮日報は、「韓日間の懸案解決も新しい駐日大使に期待されている」と報じた。着任のため来日した際、パク氏は空港で記者団の取材に応じ、「両国の信頼関係と協力に役立つならば、どこにでも駆け付けたい」と話した。
その言葉通り、パク氏は着任後間もなく新潟県を訪れ、当時、世界文化遺産に登録されたばかりの同県佐渡市の「佐渡島の金山」について、花角英世知事らと意見交換した。韓国は、戦時中に金山で朝鮮人の強制労働があったと主張し、「佐渡島の金山」の世界遺産登録に一時反発した経緯がある。
昨年11月には、「佐渡島の金山」に関連して、金山で犠牲になった朝鮮半島出身者を含む全ての労働者の追悼行事が佐渡市内で開かれたが、この行事に、パク氏を含む大使館関係者や韓国人遺族らは急遽欠席した。韓国外交部(外務省に相当)は当時、出席を見送った理由の詳細は明らかにせず、「追悼式前に両国が受け入れ可能な合意に至ることは難しいと判断した」と説明した。パク氏ら大使館関係者や遺族は別の場所で独自の追悼行事を開いた。
パク氏は今月10日、大使館で韓国メディアの東京特派員らとの懇談会を行い、在任中、最も大変だったこととして、この追悼式をめぐる対立を挙げた。聯合ニュースによると、パク氏は当時を振り返り、日本政府が追悼式の名称に「感謝」を入れたいとの主張を崩さなかったとした。パク氏は「追悼式は追悼式でなければならない。形式と内容が追悼式にふさわしいものであるべきだという考えは今も変わっていない」とした上で、「両国が歩調を合わせ、良い結果が出ればよかったが、そうでなかったため、今年(の追悼式)はより良い結果が導き出されることを期待する」と述べた。
パク氏は在任中、福島県や石川県など、地震の被災地を中心に地方にも足を運んだ。昨年11月には大使館の職員らと石川県輪島市を訪れた。同市は同年1月に地震、同9月に豪雨で甚大な被害に見舞われた。パク氏は日韓の友好を深め、被災地に元気を届けようと市内の仮設住宅で炊き出しを行った。韓国伝統のスープ料理「ソルロンタン」やチヂミなどを振る舞った。
先月19日には、韓国大使館の主催で日韓国交正常化60周年を祝う式典が都内で開かれ、パク氏は「現在の友好的な関係をさらに発展させるための努力を怠ってはならない」と述べた。
パク氏は前述の記者懇談会で、在任中、最も記憶に残る出来事として、この式典を挙げた。式典には石破茂首相や岸田文雄前首相、日韓議員連盟現会長の菅義偉元首相らも出席。パク氏は現職の首相や、最近の首相経験者が一堂に会したことに「それだけ韓日関係に対するコミットメントが強いと感じた」と振り返った。
パク氏は今月8日、石破首相と首相官邸で面会し、離任のあいさつをした。両氏は李在明政権下でも日韓両国の協力を継続していくことを確認。パク氏は日韓の首脳が相互に訪問する「シャトル外交」について、「頻繁に行われるよう望む」と語った。石破氏は、パク氏が日韓関係への理解を広めたとして在任中の活動に敬意を伝えた。
韓国では、昨年12月にユン・ソギョル(尹錫悦)前大統領が「非常戒厳」を宣言したことで罷免され、それに伴い先月3日、大統領選が行われた。革新系「共に民主党」の李在明氏が当選を果たし、政権が交代した。パク氏の離任はこれに伴うものだが、就任から約11か月で離任することになったパク氏は「政権交代後に辞める(離任する)のは当然のことで、戻るのは時間の問題だったので、全くおかしなことではない」とした一方、政府から2週間以内に帰国するよう指示を受けたことについては「我が国のために良い選択ではない」と不満を示した。
パク氏は本日14日に帰国する。後任は決まっておらず、聯合ニュースは「在日韓国大使館の政務公使が大使代理を務めるものとみられる」と伝えた。
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