朝鮮半島は第二次世界大戦後、連合国の政策により北緯38度線を境界とし、南側はアメリカ軍、北側はソビエト連邦軍が占領統治することとなった。当初、38度線間は往来が可能だったが、冷戦下に、アメリカ、ソ連の強い影響のもとで南北はそれぞれ新しい国づくりを始め、次第に対立を深めていった。そうした中、1946年5月、38度線を越えて人々が往来することが禁じられ、このことが離散家族が生まれるきっかけとなった。
1948年、大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が成立し、朝鮮半島に2つの国ができることとなった。1950年には朝鮮戦争が勃発し、戦況の一進一退や避難などにより家族離散も相次いだ。53年に休戦協定により停戦となるも、南北分断は決定的になり、1000万人とも言われる多くの家族が南北間で離ればなれとなった。韓国には北朝鮮の故郷に戻れない「失郷民」が数百万人取り残された。
韓国と北朝鮮は、人道目的で1985年から離散家族の再会事業を始め、2000年の南北首脳会談以降、本格化した。08年には離散家族の再会を目的とした人道交流施設として「面会所」が北朝鮮の金剛山観光地区内に開所した。しかし、韓国が保守政権の間は再会事業は途切れがちになり、北朝鮮による核実験や弾道ミサイルの発射で南北関係が悪化した2015年に中断した。その後、2018年に韓国のムン・ジェイン(文在寅)大統領(当時)と北朝鮮のキム・ジョンウン(金正恩)総書記による南北首脳会談が開かれ、両者は同年8月に離散家族の再会事業を再開することで合意。会談で、両氏が署名したパンムンジョム(板門店)宣言にも「人道問題を至急解決する努力」として、離散家族の再会事業の実施が明記された。合意通り、同月、再会事業が約2年10か月ぶりに動き出した。このことは、南北融和を象徴する事業として当時、注目された。離散家族を含む韓国側の参加者が軍事境界線を越えて北朝鮮入りし、北側の家族と面会した。しかし、その後、南北関係は悪化の一途をたどり、南北当局による離散家族の再会事業はまたも中断した。
面会所は2009年から18年まで計5回、離散家族の再会に使われたが、2019年10月に金剛山を訪れた北朝鮮の金総書記は、「見るだけでも気分が悪くなるような韓国側の施設を全て撤去せよ」と指示。金剛山観光地区内の韓国側の建物が次々と撤去される中、今年初めころからは面会所の撤去も始まった。
今年2月、韓国統一部(部は省に相当)は遺憾の意を示し、「引き離された家族の願いを踏みにじる反人道的行為だ」として、直ちに中止するよう求めた。
しかし、その後も作業は続き、今月16日、韓国のニュース1は、同日に更新されたグーグルアースの9月26日付けの衛星写真をもとに、「離散家族面会所は、建物の屋上や外壁、一部付属施設が大きく解体されている様子が確認された」と報じた。
離散した人は現在、韓国側には約3万6000人いるとみられている。離散家族の高齢化が進んでおり、昨年、統一部は、離散して現在は韓国に在住する5000人あまりに調査を実施。北朝鮮にいる家族の生死が確認できていないと答えた人は75%以上に上った。
ことし6月に就任したイ・ジェミョン(李在明)大統領は10月、離散家族の問題に初めて触れ、「今は南北関係が完全に断絶し、状態が非常に良くない。とても敵対的に変わった」と問題の早期解決は難しい状況にあるとの認識を示した一方、「離散家族がせめて生死の確認だけでも行い、できれば手紙のやり取りぐらいはできるようにすることは、南北双方の政治の責任だ」と述べた。さらに李氏は、「北朝鮮側にも、このような痛ましい点について、人道的観点から考慮してほしいという思いを必ず伝えたい。軍事的、政治的対立は依然存在するが、人道的問題は別に扱うべきだ」と語った。
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